信仰を求めて

水波霊魂学を学ぶ

私の宗教遍歴

大阪支部のブログに投稿しています。
 http://blog.livedoor.jp/osakakz/

目次
1.まえがき
2.心の苦しみ
 2-① 10代の頃
 2-② 20代前半の頃
3.自己啓発セミナーに参加して
 3-① セミナーに参加
 3-② ある新興宗教の見学
4.ヨガとの出会い
 4-① ヨガの教室
 4-② 宗教的なものへの憧れ
 4-③ ヨガの思い出
5.自称霊能力者の方との出会い
 5-① 霊的なことへの興味
 5-② いろいろと(その1)
 5-③ 霊界通信
6.修験道の先生との出会い
 6-① 不動明王の信仰
 6-② 仏教の信仰と修行
 6-③ 結婚
 6-④ 宗教嫌いなおばさん
 6-⑤ いろいろと(その2)
 6-⑥ 修験道の先生との別れ
7.新興宗教に入会して
8.真言宗のお寺に通って
9.スピリチュアルが好きな方に見てもらって
10.四柱推命の占い師さんに見てもらって
11.古神道を求めて

1.まえがき

霊魂学に出会い、霊魂学の素晴らしさに感動してからずっと、自分の宗教遍歴のことを書いてみたいと思っていました。
いろいろな宗教を探して最後にやっと霊魂学に辿り着けた感動と喜びを、それまでの自分の宗教遍歴を通して表現したかったからです。

でも、最初の若い頃の心の苦しみを書くのにつまずいてしまってなかなか書けずにいたのですが、今年に入って書き始めたところ、思いの外スッと書けて自分でもびっくりしました。
それから文章を追加したり修正したりするのに時間がかかりましたが、霊魂学に出会うまでのことを何とか一つの流れとして書くことができました。

この文章は、私の人生の30年分ぐらいを書いているので、いろいろと細かいところは省略して、私が宗教を求める中で深く関わったところや印象に残ったことなどを書いています。
まえがきを含めて11の項目に分けているので(投稿は22回の予定です)、次は何?と思いながら読んでいただけたらいいなと思います。本当は私の若い頃の心の苦しみを載せるのは恥ずかしいのですが、それは私が宗教を求めた原点だったので載せることにしました。

今回も「Kさんとの思い出」の時と同じように、しずくさんにステキなイラストを書いていただきました。
しずくさんのやわらかで暖かなイラストもぜひお楽しみ下さい。



2.心の苦しみ

2-① 10代の頃

私は10代半ばの頃から心の苦しみを強く感じるようになりました。
私の家は商売をしていて両親ともに忙しく、子供の頃は同居していた祖父母が私や弟をかわいがってくれました。
父方の祖父母と同居していることで母はいつもストレスでピリピリしていて、私は小学校の高学年になった頃から、祖父母と母の確執や家の中の重たい雰囲気に息苦しさを感じるようになりました。

中学生になると、自分の心の中にいつも何か不安とか苦しさのようなものがあるのを意識するようになり、もともと内向的だった性格がますます内向性が強くなっていきました。
そして、中学3年生の冬休みに高校受験の勉強をしていた時、突然何かわからない大きな苦しみが私の心の奥から湧いてきたような感覚になりました。それ以来その苦しみがずっと心の中を占めるようになり、精神的にとても不安定になりました。

高校生になると、クラスの他の人たちに対していつも気後れして普通に会話をすることができなくなり、心の中は劣等感と自己卑下と孤独感の苦しみでいっぱいでした。



2-② 20代前半の頃

それでも何とか受験勉強を頑張って大学に進学しました。
家から少し遠いことを理由に、本当は家の中が母と父方の親戚たちの争いでますますおかしくなってきていたので、家を出て下宿をしました。
でも結局大学の勉強に興味が持てず、自分が何をしたらいいのかわからず、どう生きたらいいのかもわからず、ますますうつ状態がひどくなりました。自分を根無し草のように感じ、私はどうしてこんなに何もできないダメな人間なんだろう、と下宿していた部屋で泣いていました。


あまりに苦しいので精神科に行こうかどうか悩みましたが、精神科に行っても私の心の苦しみは解決しないような気がして行きませんでした。でも、少しでも心の苦しみを減らしたくて、心理学の本や精神科医の方が書かれた本を読んだり、カウンセリングの講座を受けてみたり、何とか自分の生きる道を見つけたくていろいろな活動をしている市民団体の講演会にお話しを聞きに行ったりしていました。

そんな感じでいつも精神的に不安定だったので、就職活動で面接に行っても当然のことながら受かりませんでした。でも家は経済的に余裕がないので頼ることはできなかったのと、家に戻るとよけいに人生がわからなくなるような気がしたので家には戻らず、とりあえず自分で生活していかなければならないと何とか頑張ったところ、ある地方都市の公務員になりました。

就職しても相変わらず心は苦しいままでしたが、毎日仕事に行かなければならないことで規則正しい生活になり、それまでのどうにもならないような心の苦しみを感じることは減っていきました。


3.自己啓発セミナーに参加して

3-① セミナーに参加

就職してしばらくした頃、学生の時にある講演会で知り合った年上の女性の方から自己啓発セミナーに誘われました。
その方に初めてお会いした時は暗い雰囲気があったのに、とても明るい表情に変わっていて驚いたことと、その頃から何となく精神世界に興味を持つようになっていたので参加することにしました。


セミナーは3つのプログラムに分かれていました。
初めのプログラムでは主に自分がどのような人間か、他の人からどのように見られているのかという気付きを得ること、中盤のプログラムではさらにそれを深めて自分の殻を破ること等を目的としていろいろなプログラムを体験しました。
でも中盤のプログラムに参加した時に、その時は変われたように感じても次の瞬間また元の自分に戻っていて結局何も変わっていないし、セミナーのプログラムを少し行なっただけで人は変わることはできないのではないかと、とても疑問に思いました。

そして、セミナーの最後のプログラムは、3ヶ月ほどの間にセミナーのことを家族や友人など自分の大切な人に伝えてセミナーに参加してもらうというものでした。
心から伝えることができれば相手も参加してくれるということで、中には本当にたくさんの友人や知人を連れて来る方がいる一方で、勧誘の雰囲気に反発してやめていく方もいました。
実はセミナーの参加費用はかなり高額で、私も就職したばかりでお金がなく、セミナーの紹介者の女性の方から費用を借りて参加していました。だから、私もそのプログラムはどうしてもお金儲けのための勧誘にしか思えず、最初は家族や友人に仕方なくセミナーのことを紹介したりしましたが、心が重いばかりでした。

そのプログラムの期間中は、一緒に参加している他の方とペアになったり班を作ったりして、毎日電話で励まし合い、時々その成果を報告するために集まっていました。元々セミナーは外国から入ってきたものということでしたが、そのやり方や雰囲気がどこか実力主義の企業のように感じて、何かおかしいような気がしました。「セミナーで変われなければ、一生変わることはできない。」ということでしたが、その考え方もおかしいと思いました。

結局私は途中から何もせず、その時にやめることができなかった自分を情けなく思いながら、とても後味悪くセミナーが終わったのでした。


3-② ある新興宗教の見学

セミナーの中盤のプログラムに参加した時に、私と同年代の女性の方と親しくなりました。
自分の持っているイメージと反対のことをして自分を表現をするというプログラムがあり、私は彼女とペアを組んでそれを行ないました。明るくてにぎやかなイメージがある彼女はその場にじっと立っている役、私はその反対で飛べない鳥が飛んだというような動く役をしました。
他の方がやっている役を見てもなるほど~と思えて、そのプログラムは私にとって唯一思い出に残るものでした。

中盤のプログラムが終わったら当然最後のプログラムに彼女も参加するものと思っていた私は、彼女から最後のプログラムには参加しないと明るく言われて驚きました。

「実は私は家族みんなである宗教に入っているの。このセミナーにも自分の意思で参加したのではなく、宗教の先生からとても勉強になるから行きなさいと言われて参加したのよ。」

と聞いて、ほとんどの方が家族や友人に誘われて参加しているのに、そのような理由でセミナーに参加する人もいるんだ!?とまたまた驚きました。
そして、彼女の家でその宗教の集まりがあるから一度遊びに来てほしいと誘われて、何となくどんな宗教だろうかと興味を持ったので行ってみることにしました。


そこは仏教系の新興宗教で、彼女の先生が私に占いをしてくれたりしました。
「あなたは表向きはおとなしそうだけど、内面はもっと情熱があるはずよ。」
と言われたことが、いつもネガティブな感情で苦しんでいた私にとっては嬉しかったです。
その後昼食もいただいたりと他の信者の方も親切にしてくれましたが、入会を勧められることはありませんでした。

集まりの最後に、祭壇の前に先祖の名前が書かれた塔婆を立ててみんなで般若心経をあげる時間がありました。お経は年配のお坊さんがお葬式にあげるものと思っていた私は、30代ぐらいのリーダーの男性の方が朗々とした大きな声で般若心経をあげていることに圧倒されました。
それまで新興宗教は勧誘のイメージが強くてあまりいい印象を持っていなかったのですが、私が知らないだけで新興宗教も実は真面目に熱心に信仰の活動をされているのだなと思いました。
何よりセミナーで一緒だった彼女に信仰があり、心から信頼できる宗教の先生がいることをとてもうらやましく思いました。


4.ヨガとの出会い

4-① ヨガの教室

セミナーが終わった後、すぐにヨガに出会いました。
仕事帰りにふと立ち寄ったカルチャーセンターの中にヨガの教室があり、何となく心が惹かれて体験レッスンを申し込みました。
初めてヨガを体験した時、体が固くてアサナと呼ばれるヨガのポーズは上手にできませんでしたが、終わった後体がとてもスッキリして、すぐにその面白さに夢中になりました。



ヨガに出会って半年ぐらい経った頃、すっかりヨガが好きになった私はカルチャーセンターの中の小さなヨガの教室から、そのヨガの教室を主宰している方がされている大きな教室に変わりました。
そして、仕事が終わってから毎日のようにその教室に通うようになりました。

今はヨガといえば女性が美容や健康のために行なうものというイメージがありますが、当時のそのヨガの教室には男性もけっこう来ていて、道場のような雰囲気がありました。
ヨガのレッスンの始めにみんなで聖音とされる言葉やヨガを行なうための心得を唱えたり、ヨガが終わった後少し瞑想の時間があったりと、どこか精神的なことを学べることにもとても楽しさを感じました。
ヨガの指導員の先生とも少しずつお話しできるようになり、
「あなたは自分で自分を縛っている。もっと自分に自信を持ってやっていけばいいのではないですか?」
とアドバイスをいただいたこともありました。

また、その教室では体を動かすハタヨガのレッスンの他に、ラージャヨガという精神的なことを学ぶためのレッスンもあって、受けてみたことがありました。
それはそのヨガの教室を主宰されている導師と呼ばれている先生から、人生の生き方について学ぶための時間だったのですが、ある時先生から、

「君は視野が狭いね。”燕雀(えんじゃく)いずくんぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや”という諺を知っているかね?君はそのすずめだ。」

と言われたことがありました。
その諺は、ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリやコウノトリのような大きな鳥の志すところは理解できない、小人物には大人物の考えや志がわからない、というたとえだということです。
それまでも私は学生の時の先輩や職場の先輩から社会性や協調性があまりないと言われることが多かったので、やっぱり私は視野が狭いんだ、でもどうやったら視野を広く持てるようになるのかわからない…と思いました。

ちなみに、私のハンドルネームはその諺のすずめから付けています。
頭がよくて社会性のある方から見たら私は視野が狭いのかもしれないけれど、もしかしたら視野が狭かったおかげでいろいろな宗教の考え方がどれもどこか納得できなくて、最後に霊魂学に辿り着けたのかもしれない…と思っているので、いい意味に捉えて使っています。



4-② 宗教的なものへの憧れ

ヨガの教室は、インドでヨガを学んでこられた方の弟子である導師の先生が始められたということでした。
ヨガの中に太陽を礼拝するポーズや、五体投地法や、呼吸法などがあって、特に五体投地法を行なった時はヨガの中に宗教的なものを感じて心が嬉しくなりました。

ある時、教室で仲良くなった方とヨガのことを話していて、ふと私が、
「私が本当にほしいものは救いなんだと思う。」と言いました。
「えー、若いのに救いだなんて変なことを言うのね。何でそんなことを言うの?」
と聞かれたので、
「わからないけど、私はずっと心が苦しかったから何よりも救いがほしい。」
と答えました。
自分でもどうしてそんなことを言いたくなったのかわかりませんでしたが、その時に、そのためにもっと深くヨガを学びたい、できたら仕事をやめてヨガの先生になってヨガの世界で生きていきたいと思いました。


そして、その気持ちをヨガの教室で知り合ってからいつも何かとお世話になっていた方に言ってみました。
彼女は私より少し年上で、ヨガの教室の近くで一人暮らしをしていたので、教室が終わった後よく彼女の住むマンションに遊びに行っていました。

「えー、何寝ぼけたことを言ってるの!?ヨガで生活なんてやっていけないわよ。それにね、私の実家はお寺なんだけど、私は子供の頃から父や父の友人の僧侶の方々が厳しい修行をしてきているのをずっと見てきたわ。正直なところヨガは仏教より低いと思う。だから、あなたもそんなにヨガにのめりこんではいけないわよ。」

と言われてしまいました。
ヨガは仏教より低い?、それが本当かどうかはわからなかったのですが、その他にも彼女からヨガの教室についていろいろと疑問に思っていることを聞いて、何となくヨガの教室に通い続けることに迷いを持つようになりました。

そして、それからしばらくして彼女は実家のお寺に帰ることになってヨガの教室をやめてしまい、私も彼女に引っ張られる形でヨガの教室をやめたのでした。

ヨガの教室をやめてから、何かとても寂しいような気持ちになりました。
まだその頃も、何のために生きるのか、どう生きていけばいいのかわからなくて悩んでいました。
だから、このままうつうつとして本当に心を病んでしまって人生を終えるのか、それとも生まれた意味とか生きる目的とか本当のことを教えてくれるところを探して心の救いを得て人生を終えるのか、選択を迫られたような気持ちになりました。
そして、心の救いを与えてくれるのは宗教しかないような気がして、宗教を求めたい、いろいろな宗教を探していつか本当に自分が納得できる宗教を見つけたい、と強く思いました。


4-③ ヨガの思い出

私がヨガに夢中になっていた頃、ちょうどある宗教団体のヨガの教室も有名になっていました。
その教団がよくテレビで取り上げられたりしていたので何となく関心を持って見てみたり、本屋さんに行ってその教団の本を読んでみたりしましたが、あまり魅力を感じませんでした。
修行で少し体が浮かせられるようになったとしても、それがヨガや修行の本当の目的ではないように思いました。
それよりも全てを捨てて出家される一般の信者の方たちの方が気になって、そこまで深くその教団を信じることができる理由は何だろうかと思いました。

その教団による大きな事件があった時、私はもうヨガの教室はやめていてちょうど仏教に出会った頃でした。私がヨガの教室に熱心に通っていたことは当時の職場では有名だったので、その時の職場の上司の方が2、3人別々で私のことを心配して、ちゃんと仕事に来ているかどうか安否確認に来てくれました。

「あ~よかった。ちゃんとここにいて。」とか、
「もうあっち(事件のあったところ)に行ってしまってるんちゃうかと心配したわ~。」とか。

その事件が宗教に関心のあるなしに関わらず誰にとっても衝撃的なことだったことはわかるものの、その事件の少し前に起きた大震災の時にはそんな安否確認はなかったことを思い、事件を起こした教団とヨガと私が結び付けられたことに何となく複雑な気持ちになりました。

事件のことは連日テレビで大きく報道されていて、人を救い導くはずの宗教がどうしてこんな事件を起こしてしまったのか、どこで間違ってしまったのかと、とてもショックを受けました。
何より出家した信者の方たちが私より少し年齢が上か同年代の方が多いことを悲しく思い、なぜその宗教を信じてしまったのか、これからどうするのかとても気になりました。

その後またその教団のことが書かれた本を読んだり、テレビでその事件の特集番組があった時に事件の経緯を再現したドラマを見たりしましたが、信者の方の過酷な修行内容とか、食事の内容とかにショックを受けたものの、どうして教団が事件を起こしてしまったのか本当のところはやっぱりわかりませんでした。


そして、その事件から数年後、たまたま最初に行ったところとは別のカルチャーセンターの中に私が通っていたヨガの教室があるのを見つけて、体験で行ってみたことがありました。
ヨガのレッスンが始まる前に唱えていた聖音や心得がなくなっていて、やっぱり…と思いながら少し寂しく感じました。

また、それから10年後、霊魂学に出会う少し前でしたが、近所のヨガの教室に少しだけ通ったことがありました。
その教室の先生から、
「今はアメリカから入ってきているヨガが主流になっているんですよ~。」
と聞いて、何だか時代の流れを感じました。
レッスンの内容がどちらかといえばスピリチュアルな雰囲気があって、何か私が求めているものとは違うように感じて教室をやめたことも、私のヨガの思い出になっています。


5.自称霊能力者の方との出会い

5-① 霊的なことへの興味

ヨガの教室をやめてから、ヨガの教室でお世話になった方から紹介してもらった自称霊能力者の方のところへ行くようになりました。

彼女は私より少し年上の女性で、幼少の頃から霊的なものが見えたり感じたりしているということでした。
彼女が私に西洋占星術の占いをしてくれた時に、ヨガの教室をやめたことや、宗教的なことに憧れを持っていることを話すと、彼女から、

「あなたはとても精神的なことを求めているわね。そうね、あなたにはシャーマニズムの世界が合っているわ。シャーマニズムの世界であなたの持っている力が発揮できるわ。」

と言われました。
私は自分に合う世界があるということが嬉しくて、シャーマニズムがどんな世界なのかわからないけれどなぜかとても心が惹かれて、いつか必ず私に合うシャーマニズムの世界を見つけたいと思いました。


人生で初めて霊能力があるという方に出会い、初めて霊的な考え方に触れて、その面白さにとても心がワクワクしました。
そして、霊的なお話をもっと聞きたいと思って、彼女のところに遊びに行っては彼女の霊能力のお話や、彼女の波乱万丈の人生を聞いたりしました。
白魔術や黒魔術、タロット占い、沖縄のユタ、龍のお話等など本当にどれも興味深くて、ますます霊的なことをもっと知りたいと思うようになりました。

その頃、彼女の知り合いの精神世界が好きな方たちもよく彼女のところに遊びに来ていました。
社会の枠にとらわれず自由に生きているように見えるとても個性的な方たちと初めて知り合い、いろいろなお話を聞くことは楽しかったのですが、一方で生き方の違いを感じて、私にはそのように生きる能力も取り柄もないことを少し悲しく思いました。


5-② いろいろと(その1)

自称霊能力者の方のところに通う一方で、宗教もいろいろ見に行きたいと思って、まずは近所にあるキリスト教の教会に行ってみました。
平日の聖書の勉強会や日曜日の礼拝に参加させていただいたのですが、お話が少し教義に偏っていて難しいように感じて、あまり興味を持つことはできませんでした。
教会に来られているクリスチャンの方々の親切で愛のある雰囲気にもついていけないような気がして、敬虔なクリスチャンになることに憧れを持つものの、私には無理なように思いました。
ただ賛美歌にはとても心が惹かれて、特に救い主であるイエスさまを心から慕い求めている賛美歌が好きになって、CDを買ってよく聞くようになりました。


また、ある時、新聞の催し物の記事の中に、お寺で一泊二日で行なう座禅の会があるのを見つけて参加したことがありました。
座禅は土曜日のお昼から日曜のお昼まで行なわれるということでした。
座禅をするのは初めてで、目をつぶっても頭の中は雑念でいっぱいで、ただひたすら座るだけなので、すぐに足が痛くなりました。
一時間座ったらお寺の廊下を少し歩いてまた座る、ということの繰り返しで、途中少し仮眠を取っただけで、夜もずっと座っていました。
座禅の会にいつも参加されている方は、2日目の朝お一人ずつ老師のところに呼ばれて禅問答をされていました。
「ソモサン!」
「セッパ!」
隣の部屋から聞こえてくる禅問答のやり取りはけっこう迫力があり、また難しそうでもあったので、これは私には無理だな…と思いました。
その後他の参加者の方々とお堂を清掃して、丸一日の座禅体験は何もわからないまま終わりました。
帰り際年配の女性の方から、
「あなた若いのにこんなことに興味を持つなんてエライわね~。」
と声をかけていただいたことが心に残りました。


また、当時私は窓口の仕事をしていて、窓口に来られた方と世間話をする機会がよくありました。
年配の方々の中で特に穏やかで明るい印象を受ける方は、何かの信仰を持っていると話されることが多いように感じて、やはり信仰がある方とない方では人生が違ってくるのではないかなと思いました。
ある時、その中のお一人の方に誘われて、その方が入っている仏教系の新興宗教の集会に見学に行ったことがありました。
集会が始まるとすぐに信者の方たちの懴悔の行が始まり、”自分が悪かった”とただそればかりが延々と続いていくという感じだったので、何か違うな…と思いました。
そんな私の引き気味の様子を見てなのか、私を誘って下さった方や他の信者の方から入会を勧められることはありませんでした。
集会が終わって、仏教系の新興宗教といってもいろいろな団体があるのだなと思いました。


5-③ 霊界通信

西洋の霊界通信を読んだのもこの頃でした。
自称霊能力者の方から、私にはシャーマニズムの世界が向いていると聞いてから、 シャーマニズムのことが書かれた本を探すために、時々大きな本屋さんに行くようになりました。
精神世界や宗教のコーナーに行っては一生懸命探したのですが、学術的な関係の本しかなくて、それは私の求めているものとは違うと思っていつもがっかりしました。

なかなかいい本が見つからないと思っているうちに、”霊界通信”の本がたくさんあることに気付き、何だか面白そうと思って読んでみました。
初めて有名な霊界通信を読んだ時、愛や感謝や奉仕などとても素晴らしいことが書かれているように感じてウットリした気持ちになりました。
そして、これは普通の宗教者や学者さんのような方々には決して書けない内容だと思ってすっかりハマってしまい、次々と読むようになりました。


でもしばらく読んでいるうちに、その霊界通信をいくら読んでも、どうやったら愛や感謝の気持ちを持てるようになるのか、肝心なことが書かれていないと思うようになりました。
それに愛や感謝が大切だとそれを繰り返すだけで、だんだん内容が現実離れしているようにも感じてきて、読むのをやめました。
その後、別の方が書かれた霊界通信の本も読んでみましたが、内容が難しいように感じて結局それもすぐにやめました。
霊的なことにとても心が惹かれるものの霊界通信の本は何か違う…とまたがっかりした気持ちになりました。
ただその時、どうしてそのような霊界通信の本や降霊会など霊媒現象のようなものが、キリスト教の信仰が強い西洋の国で盛んに行われたのだろうかと、とても不思議に思いました。

そして、次にハマったのが西洋で有名な霊能力者の方の本でした。
その方の霊界のお話がすごく面白くて、ドキドキワクワクしながら読みました。
読んでいるうちに、その方が本当に言いたかったのはキリスト教の信仰ということがわかって、本屋さんに行って、信仰のことが書かれた本を注文したりしました。
霊的なことと信仰がつながるということを初めて知って、何とかそのことをもっと深く知りたいと思いました。

そんなある時、本の中に勉強会の案内が書かれていることに気付きました。
その霊能力者の方の霊能力よりも信仰を学ぶ会があるということに驚いて、本当に世の中はいろいろな集まりの会があるのだなと思いました。
そして、けっこう近いところで行われていたので、さっそく行ってみることにしました。

その勉強会に来られていたのはほとんど年配の方でした。
本を読んだり意見を言ったりと、とても真面目に信仰について学ぶという雰囲気がありました。
でも、参加してみて、勉強会で話されていたキリスト教の信仰に何か違和感を感じて、その霊能力者の方に対しても何となく冷めた気持ちになりました。
それからしばらくして、その霊能力者の方の本を読もうとするとなぜか心が重くなり、最後は本を見るのもイヤになってしまって、二度と読むことはありませんでした。

結局それらの霊界通信や精神世界関係の本は、その後仏教に出会ってから、もったいないと思ったものの全て廃品回収に出しました。
業者の方に取りに来ていただいた時に、「たくさんありますけど、本当にいいんですか?」と聞かれて、「はい、いいんです。持って行って下さい。」とお願いして、処分したのでした。


6.修験道の先生との出会い

6-① 不動明王の信仰

ある日、自称霊能力者の方から滝行に誘われました。
彼女の精神世界の好きなお友達から誘われたということでした。
滝行!?あの水を被る!?とびっくりして、冷たいのは嫌だなと思いながらも、修行というイメージに心が惹かれて一緒に行くことにしました。

滝行は夏の暑い時から始めた方がいいということで、それからしばらく経った8月の初めに、初めて滝行に行きました。
自称霊能力者の方のお友達の方や、精神世界が好きそうな少し変わった雰囲気の方など、その日は私を含めて5人の女性が参加しました。滝行の希望者が多いので、男性と交互で行なっているということでした。
また、滝行の先生は70代ぐらいの男性の方で、ずっと修験道を学んできて、不動明王を信仰しているということでした。

滝行をするってどんなところだろうとドキドキして行ったのですが、滝といっても自然の滝ではなく、山の中に行をするために作られた小さな人工の滝で、水も樋(とい)から少しだけ流れてくるものでした。
滝行の作法は、先生とずっと一緒に修験道の修行をやってこられた先生の奥さんと二人で考えられたということでした。
小さな行場で塩をまき、行場に祀られている不動明王と八大龍王に祈願した後、水に向かって九字の作法をした後、「エイッ!」と大きな声を出してから水の中に入るのですが、その「エイッ!」が言えなくて、先生から、「なんだ、その蚊の泣くような声は!?」と言われながら、恐る恐る水の中に入りました。


水の中に入っている時は、先生が側で錫杖を振りながら般若心経1回と不動明王のご真言7回を大きな声で唱えて下さいました。
すごく緊張したものの、滝行が終わった後何とも言えない気持ち良さを感じて、すっかり滝行が好きになってしまいました。
それから週末になると自称霊能力者の方や、その時ご一緒した少し変わった感じの方と一緒に滝行に行くようになり、滝場の近くにある先生のお宅に伺って、先生の仏教のお話を聞いたりするようになりました。

その頃一人暮らしをしていた私は、月に一度家に帰っていたのですが、家の庭を見た時に不動明王の石像があってびっくりしました。
両親に聞くと、祖父が修験道の行者で熱心に不動明王を信仰していたということでした。
そういえば私が幼い頃、地域のお寺の行事で修験道の服装をした祖父や他の行者さんたちが護摩焚きをしているところに連れて行ってもらったことや、祖父が法螺貝を吹いていたことなどを思い出しました。
修験道の先生に初めてお会いした時、先生がどことなく祖父に似ているような気がして親しみを感じたのですが、もしかしたら亡くなった祖父が、人生に迷いフラフラしている私を可哀想に思って、不動明王を信仰している先生に出会わせてくれたのかもしれないと思うと嬉しくなりました。




6-② 仏教の信仰と修行

滝行を始めて半年ぐらいで、一緒に滝行を始めた方が次々とやめていくようになりました。
自称霊能力者の方も、いろいろと状況が変わって実家に戻ることになったということで離れていきました。
滝行に出会ってから、だんだん自称霊能力者の方と付き合うことにしんどさを感じるようになり、最後は関係がおかしくなってしまって、私を潰すことは簡単だというようなことを言われてショックを受けました。
もし修験道の先生に出会っていなかったら、私は精神的におかしくなっていたかもしれないと思います。
また、その自称霊能力者の方と対立するようになっていた少し変わった方も、それからしばらくして離れていきました。
彼女はそれまでの人生でどこに行ってもイジメを受けたということで、ご自分のことを戦争で亡くなった方よりも不幸だと言っていました。
私はそれを聞いた時とてもショックを受けたのですが、世の中には本当にいろいろな方がいるのだなと思いました。

結局、先生の元に残ったのは私と数人でしたが、私は滝行を通して不動明王を信仰することや、仏教の修行の世界にとても惹かれて、信仰や修行のことを先生からもっと学びたいと思いました。
その頃先生は修験道の修行をずっと一緒にされてきた奥さまを病気で亡くされたばかりでしたが、仏法を伝えたいと、残った私たちに丁寧に仏教の信仰や修行のことを教えてくれました。

「私に感謝はいらない。それよりも、私が指し示した方向を見てほしい。そして、自分が得てよかったと思うことを、他の人にも教えてあげてほしい。」

仏教と仏法がどう違うのかわからなかったのですが、私は先生の元で滝行をしたり仏教を学んだりすることで、だんだん心が楽になっていきました。
先生は、人生の苦しみは先祖の霊障が大きな原因で、それを解消するためには先祖供養が必要だと考えていて、先祖供養の仕方やお経の読み方なども教えてくれました。

また、先生はご自分が修行されてきた修験道のお寺や、真言宗のお寺にも連れて行ってくれました。
修験道の山の中のお寺に行って、本物の滝に入った時は、その水圧のすごさや水の冷たさにびっくりして、何とか頑張って滝行を終えた時はとても充実した気持ちになりました。
また、そのお寺で他の行者さんから冬の滝行のお話しを聞いたり、夜通しの護摩行に参加して、ずっと錫杖を振り続けて手が痛くなりながら不動明王の真言を唱えたりしたことは、今思うと霊的にはよくなかったのかもしれないのですが、懐かしい思い出です。
それから、先生が若い頃病気になって助けていただいたという行者さんが信仰していた山の中のお寺にも、よく一緒にお参りに行きました。
その山の中にある行者さんたちから特に人気があるという大杉を祀っているところも教えてくれて、私もその場所が気に入ってその後一人でお参りに行ったりもしました。
その他にも真言宗のお寺で行われている護摩焚きの行事や、お寺の霊場巡りなどにも一緒に行って、その度にそんな修行の世界が身近にあったことに喜びを感じました。
その頃は修行を学べることがとても楽しくて、先生に出会えて本当によかったと思いました。




6-③ 結婚

修験道の先生は女性の生き方についても教えてくれました。
とにもかくにも女性は結婚して専業主婦になるのが一番だと、何回も聞かされました。
私の職場は結婚しても仕事を続けるのが当たり前で、男女平等、女性の経済的自立を掲げて頑張っているキャリアウーマン志向の方もいましたが、私はなぜそこまで平等や自立にこだわるのか疑問に思っていました。
だから先生が教えてくれた通りに、結婚して仕事をやめて専業主婦になって修行をやっていくことを目標に頑張ろうと思いました。
正直なところ、私はキャリアウーマンになる強さは持っていませんでしたし、仕事も生活のためにやっているだけで、キャリア志向の方のようにどうしてもやりがいを感じることはできませんでした。
それに、これからもずっと一人で頑張って生きていくことに寂しさとしんどさを感じていて、無理をするのはやめて他の多くの女性と同じように私も普通に結婚して、普通の人生を送りたいと思うようになっていたことが大きかったのでした。

そんなある日、それまでおしゃれには興味も関心も全くなかったのですが、やはり結婚の相手を見つけるためには少しはおしゃれをした方がいいのかもしれないと思って、近所の大型スーパーの中にあった宝石屋さんに指輪を買いに行きました。
その頃私はもっと滝行をやりたくて、職場からは遠くなりましたが修験道の先生の家の近くのマンションに住んでいました。


そこで私より少し若い男の店長さんと指輪を選びながらいろいろ世間話をしていた時に、結婚のことを聞かれて、
「結婚したいけど相手がいないんです~。」と答えると、
「それならいい人がいるよ。ちょうど先週、お母さんのために指輪を買いに来た人がいるから、その人を紹介してあげるよ。」
と言って紹介してくれたのが主人でした。

初めて主人に会った時に、なぜ宝石屋さんに行ったのか聞いたところ、少し前に亡くなったお母さんに生前何もしてあげられなかったので、せめてお母さんの誕生日に指輪のプレゼントをしようと考えて宝石屋さんに行ったということでした。
それを聞いて私は心の中で、何ていい人!と思って感動しました。
それから主人と何度か会ううちに、優しくて真面目でしかも仏教の修行の話を嫌がらずに聞いてくれることがわかって、一緒にいると楽しいと思うようになりました。
そして、当時の私は、自分と年齢が近くて、仕事をやめて専業主婦にならせてくれて、仏教の修行もやらせてくれそうな人と結婚できたらいいなと思っていたのですが、主人はそんな私の願いを全て叶えてくれそうだったので、出会って2ヶ月ほど経った頃、私の方から結婚して下さいと言ったのでした。

それからしばらくして結婚し子供もできたので、10年ほど勤めた仕事をやめることにしました。
仕事をやめる時にお世話になった方々に挨拶に行った時の反応は様々でした。
「子供さんのために仕事をやめるなんてすごい決断ね、エラいわ!」とか、「もったいないね~。」と言われたり、女性の先輩からは「家にいてもやることがないわよ。結婚に心が浮かれてしまったのね。」と言われたりしました。
その度に、「本当は仕事をやめて主婦になって修行がしたいんです~。」と心の中で思ったことが印象に残っています。



6-④ 宗教嫌いなおばさん

結婚して仕事をやめてからは、育児が大変でした。
何といっても初めての育児でわからないことも多く、毎日家事と育児に追われて自分の時間がほとんどありませんでした。
育児がこんなに大変だったとは思いませんでしたが、子供の公園デビューで親しくなったママ友と一緒に育児ができたことは楽しかったです。
ただやはりママ友同士のお付き合いは大変なところがあって、仕事をしていた時も人間関係が大変だなと思うことが多かったのですが、結局どの世界も人間関係は大変なんだなとつくづく思いました。
(*私の育児については、「Kさんとの思い出」に少し書いています。)
そんな感じで子供が小さい頃は育児に追われて修行する時間はあまりありませんでしたが、時々修験道の先生のところに子供を連れてお話しを聞きに行ったりしていて、やはり信仰と修行を学びたいという気持ちが心の支えになって、何とか育児も頑張れたのかなと思います。

そんな私にとって、結婚して一番しんどかったのは、何といっても主人のおばさんとの関係でした。
結婚して大変なことの一つに、相手の親兄弟親戚と付き合わなければならないことがあると思います。特に嫁の立場になると、姑や小姑との関係が難しくて、上手に付き合っている方もいるかもしれませんが、どちらかというと関係がうまくいっていない方の方が多いのではないかと思います。
私の場合は主人のお母さんが亡くなっていたので姑はいなかったのですが、その代わり、主人のお父さんの妹にあたるおばさんから何かと口出しされました。
おばさんは生涯独身のバリバリのキャリアウーマンで、主人のお母さんが亡くなってから、主人のお父さんのお世話をするようになっていて、主人の家のことを何でも取り仕切るようになっていたからでした。

主人と結婚してからそんなおばさんと対立するような出来事が次々起こり、
「あなたが来てから悪いことばかり起こるようになったわ。」
と嫌味を言われたりしました。
そして、主人のお父さんが突然ポックリ亡くなってしまい、法事の時に私が信仰していることがバレてしまいました。
それを知った時おばさんは、

「あなたね、宗教なんてものは、心が弱い人がするものなんですよ。人生で大切なことは努力することなんです。みんな一生懸命努力して生きてるんですよ。それなのに何の努力もしないで神仏に縋るなんて、情けないことだわ。神仏に縋る暇があるんだったら、もっと別の努力をしたらどうなの!」

と強い口調で私に言ったのでした。


後日、おばさんは主人に対して私のことを、

「宗教なんてするのはテロリストと同じなんですよ。はっきり言ってきちがいなんです。あなた、あんなきちがいとは離婚しなさい。」

と言ったそうです。

結局それから私はおばさんに会うことはなく、その数年後におばさんは病気で亡くなりましたが、お葬式には行きませんでした。
おばさんと対立した時上の子が2才で、子はかすがいと言いますが、多分あの時子供がいなかったら離婚していたかもしれないと思います。
当時私の母やお世話になっていた方や修験道の先生がとても心配してくれて、子供のためにも離婚しないようにと力になってくれました。

もう随分前の出来事ですが、当時を振り返ってみると、おばさんと対立したことは私と主人の霊的カルマも原因の一つだったのではないかと思います。
また今はおばさんとのことは、宗教を毛嫌いする方が宗教に対してどのように考えているのかを知ることができたので、とても勉強になったと思っています。


6-⑤ いろいろと(その2)

家事と育児と修行に追われる生活が続き、修験道の先生に出会って10年ぐらい経った頃、私は宗教に出会えたことで人生を変えることができたような気がして、宗教の大切さを人に伝えられるようになりたいと思うようになりました。
そして、そのためには自分自身がもっと宗教のことを勉強しないといけないし、他の方々の人生がどのようなもので、宗教についてどう考えているのかを知りたいと思いました。

その頃私の3人目の子供がまだ幼稚園に入る前で、親しいママ友たちと市の施設の中にある子供を遊ばせてくれるサークルルームによく行っていました。
そこにはいつも保育士さんがいて、子供と遊んでくれたり、母親の育児の相談なども聞いてくれたりしていました。


ある時、少し年配の保育士さんが仏教の修行に関心を持っていることがわかり、一度二人で会ってもらって、どんな修行をしているのかお聞きしたことがありました。
その保育士さんは、自分なりに修行の道を求めたいと、ご自分で仏教や神道などを勉強したり、休日はお寺や山に行ったりしているということでした。
その頃私は、修験道の先生から紹介された近所にある真言宗のお寺の僧侶の方のところにも通うようになっていました。
保育士さんにそのことを言うと、その僧侶の方のことを知っているらしく、
「アハハ、あなたには立派な先生が二人もついているのね。でも、どうかな、こういうことは自分の頭で考えないとダメよ。」
と少し呆れられたように言われてしまいました。

また、そのサークルルームには、私と同じように小さな子供の育児をしている方がたくさん来られていて、その中に少し変わった雰囲気のある方がいて、時々お話しするようになりました。
ある時、彼女はそれまでの人生で起こった出来事をいろいろと話してくれました。
母親から虐待されたこと、若い頃事故に遭って後遺症が残っていること、もうすぐ離婚すること等など。
私が驚いて、「そんなに大変なことが次々起きるなんてつらいよね…。私だったら耐えられないし、救いがほしくて宗教を求めると思う。宗教を求めてみようとは思わないの?」と聞くと、
「宗教は嫌いよ。だって主人が新興宗教にお金をつぎ込んだことが離婚の一番の原因だから。」
でも精神的にはつらいので、心療内科に行ったり、信頼しているカウンセリングの先生にいろいろと相談しているということでした。

そして、それとは別の育児サークルに行った時、そのサークルを主催されている少し年配の女性の方が心理学のカウンセリングの先生でした。
その先生は育児サークルに来る子供の母親等を対象にした勉強会も定期的に行なっていて、私はやはり宗教だけではなくいろいろなところにも参加してみようと思って、その勉強会に参加することにしました。
育児サークルではいつも明るく元気な印象の先生が、勉強会では少し疲れた様子で気難しい表情を見せるのが気になり、また、いつも参加しているという方々がその先生をとても慕っている様子を見ていて、何となくその勉強会の雰囲気が私には合わないように感じました。
ある時、女性の生き方などけっこう真面目な話し合いになって、私はそれを聞いていただけだったのですが、帰宅してからすぐに先生から電話がかかってきました。
「今日勉強会で聞いたことは決して口外しないでね。ここは秘密厳守だから。以前、この勉強会がとても真面目な議論をしているところで、それがまるで宗教のようだと噂を立てられて困ったことがあったのよ。」
私はそれを聞いて、やっぱり心理学の先生は宗教を嫌っているのかなと思って何だか気持ちが引いてしまい、数回行っただけでその勉強会をやめたのでした。

そんなこんなで、やはり宗教のことを話せる方はなかなかいないこと、主人のおばさんほどではないにしても宗教を嫌う方や、どちらかというと宗教に無関心な方の方が多いこと、宗教を信じている方がいてもそれぞれ信じるものが違うので考え方も違ってくることがわかってきて、宗教の大切さを人に伝えるのはやはり難しいと思いました。
それに宗教の大切さを人に伝えるとしても、仏教は宗派がいろいろありすぎてどれがいいのかわからないし、キリスト教も日本人にはあまり馴染みがないような気がして、どこかに現代の普通の言葉で信仰の大切さを教えてくれる宗教はないものだろうかと思いました。
また、私自身人から何を言われても動揺せず、この宗教は正しいと心から自信を持って信じることができる宗教を持つことができたらいいなと思いました。


6-⑥ 修験道の先生との別れ

そんな感じで他のことに目を向けるようになってから、それまで信頼していた修験道の先生の言動にだんだん矛盾を感じるようになりました。
その頃頻繁に、私が精神的にとても苦しかった10代の頃の夢を見るようになっていました。
どうして今でも一番苦しかった頃の夢を見るのか、なぜ修行しているのにこんなに心が安定しないのか、先生に何度聞いても、私に愛情や感謝の心が足りないからだという答えしか返ってきませんでした。
愛情が足りないとお説教されることも多くなり、先生がきつくなってきているように感じて、年を取られたせいかなと思うものの、何かおかしいと先生に対する不信感がますます大きくなっていきました。


また、私の生活の中で争い事がよく起こることにも気付くようになりました。
主人のおばさんとのこともそうでしたが、他にも人と争わざるを得ないような状況になることが多くて、私が宗教が好きで、修験道の先生の元で修行をしていることも知っている学生時代からの親友が、
「こすずさんって、どうして修行しているのにそんなに争いごとが多いの?すごく不思議なんだけど。普通修行してたら、そういうことってそんなに起こらないんじゃないかと思うけど。絶対おかしいよ~。」
と言われて、私も本当にその通りかもしれないとため息が出ました。
その頃、上の子供の育児のストレスや、幼稚園のママ友との付き合いに気持ちがイライラすることも多く、私の心の中に人に対する怒りみたいな感情がドロドロしているように感じて、落ち込むことも増えていきました。

そんなある日、先生が霊的な考え方についてとても影響を受けたという本のお話しをしてくれました。
その本の著者は暴風神を信仰されていたということでしたが、先生は暴風神であるスサノオの神を信仰することは間違っていると言われました。
私はそれを聞いて、先生はその本から霊的なことをすごく学んだと言いながら、その信仰を否定されていることに大きな矛盾を感じました。
それまで先生の信仰を学ぶ謙虚な姿勢をとても尊敬していたので、先生のその言葉によけいショックを受けました。
「その本をぜひ読んでみたいです。」と私が言うと、それは絶版になっていてもう読むことはできないということでした。
その少し前に、先生から勧められてその著者の方の本を読んだことがあり、その中に神霊への信仰について書かれたところがあって、神霊が何を意味するのかよくわからなかったものの、神霊という言葉にとても心が惹かれました。
だから私は心の中で、何としてもその本を探したい、その本がなくてもどこかに同じような考え方で書かれた本があるかもしれない、もしかしたら暴風神のことを調べていけば私が本当に知りたいと思っていることが見つかるかもしれない、暴風神に何か隠された秘密があるような気がする…と思いました。
その時、先生の肩越しに何か光のようなものがあるように感じて、先生も知らない本当の信仰の世界がどこかにあるような気がして、いつかその信仰の世界に出会いたいと心から思ったのでした。

そういうこともあって先生からますます心が離れていき、それから半年ほど経ったある日、15年ほどお世話になった先生の元を離れる決心をしました。
私を助けてくれて、とてもお世話になった先生の元を離れる日がくるとは夢にも思っていませんでした。
でも、もう先生のところに行っても私が求めている答えは得られない、本当のことを教えてくれるところを探したいという気持ちが、私の心の中で強くなっていたのでした。


7.新興宗教に入会して

修験道の先生の元を離れる少し前から、仏教の世界にしんどさや重苦しさを感じるようになっていました。
人には因縁とか罪業というものがあり、それを解消するために先祖供養を行なったり、先祖に感謝したりすることが本当に正しいのかどうかとても疑問でした。
それに霊魂についてもわからなくて、人生の不幸の霊的な原因が本当に先祖の霊障によるものなのか、先祖だけではなく悪霊という存在もいるのではないか、もし悪霊がいるとしたらどんな存在なのか、ということも知りたいと思いました。
そして、以前から気になっていた霊的なことも教えてくれそうな神道系の新興宗教にお話を聞きに行きました。

その新興宗教に電話して一番近いところの集会所を紹介されて行ったのが、大きな街の中のマンションの一室でした。
私より少し年上そうな男女の方が応対してくれて、その宗教についていろいろ説明してくれました。
その中で一番心に残ったのは、神道の世界はとても素晴らしく、とにかく仏教は神道よりも低い宗教だということでした。
仏教を学ぶことに疲れを感じていた私にとって、その言葉はすごく明るくて救いがあるように感じて、新興宗教はお金がかかるのではないかという不安があったのですが、説明してくれた方から年会費は安いと強調されてとりあえず入会しました。

新興宗教に入会したのは、信仰や修行や霊的なことを学びたかったからですが、もう一つ理由があって、それは修行仲間がほしいという気持ちがあったからでした。
修験道の先生のところには私以外にも何人か来ていて、その中には私が紹介した昔の職場の友人もいたのですが、いつも別々に先生のところに行っていたので、一緒に何かするということはほとんどありませんでした。
だから、先生のところに行くのはいつも一人でしたし、お寺の護摩行などに行くのもずっと一人でした。
それぞれ抱えている問題や求めるものが違うのでそんなものだとずっと思っていたのですが、ある時、いつものようにお寺の護摩行に参加した帰り道、なぜか急に寂しくなって、信仰や修行のことを話せる仲間がほしいと心から思ったことがありました。
その頃時々街で新興宗教らしき方々が連れ立って普及活動をしているのを見て、うらやましいと感じるようにもなって、宗教団体に入ることに興味と憧れを持っていたのでした。

そして、週末に主人に子供を任せて、そのマンションに通うことにしました。
初めて行った時は、神さまに祈ることやそのための簡単な作法も教えてくれて、信仰にも熱心な雰囲気を感じてとても新鮮でした。
でも、帰る時になるといつも必ず何かの行事があると言われてお布施をしなければならず、また大きな行事がある度に、かなり高額のお布施をしなければならないこともわかってきて、すぐに疑問を持つようになりました。
何より信仰について、言っていることとやっていることに大きな矛盾を感じました。
仏教が低いと言いながら、行事の時は仏教のやり方で先祖供養をしているように思えて、その時私は初めて先祖供養は宗教の資金源になるということに気付いて少しショックを受けました。

その他にもいろいろおかしいと思うことがあって、結局数回行っただけでやめる決心をしました。
そして、電話で、「やめます。」と私を担当してくれていた女性に伝えました。
「どうして?」と聞かれたので、一番引き止めることができない理由ではないかと思って、「やっぱり仏教を勉強したいからです。」と答えました。
私が電話を切ろうとすると、
「あ~、因縁に引っ張られる~。」と少し叫ぶような感じで言われて、心の中でそれも仏教の言葉だけど…と思いながら、
「かまわないです。私は仏教が忘れられないんです。」
と仏教を強調して電話を切ったのでした。
本当は、お金の面でとてもついていけないと思ったのが正直な気持ちでした。



8.真言宗のお寺に通って

すっかり新興宗教に懲りた私は、やっぱり真面目に信仰を教えてくれそうな伝統宗教に戻った方がいいのではないかと思いました。
ちょうどその頃お寺の大きな行事がある時期で、近所の真言宗のお寺で行われていた大きな護摩供にこっそり行ってみました。
護摩行の大太鼓の音や不動明王のご真言を聞いて嬉しくなり、護摩行が終わって参拝者が帰った後、僧侶の方が御本尊の前で静かに読経する姿や、御本尊に向かって真摯に礼拝する姿に感動して、私もご本尊の前に座って仏教に戻ろうと反省しました。

そして、以前から修験道の先生から紹介されてお世話になっていたそのお寺の僧侶の方に相談に行きました。
「私は修行と信仰の世界が好きなんです。でも、これから修行や信仰を学ぶためにどうしていったらいいのかよくわからないんです。」と言うと、
「瞑想をやってみなさい。そうすれば、今までやってきたことが一つにつながって、見えてくるものがあるでしょう。」と答えて下さいました。
その時僧侶の方は、瞑想が一番大切な修行であると教えてくれました。


そのお寺では毎月一回瞑想行が行なわれていました。
読経から始まり、瞑想、僧侶の方の法話などがあって、私は瞑想そのものは相変わらず雑念ばかりでよくわからなかったのですが、いつも参加するのがとても楽しみでした。
瞑想行に参加していたのはそのお寺によく来ている年配の方がほとんどでしたが、時々30代や40代ぐらいの男性の方が来ていることがありました。
その方たちは、瞑想に興味があって、ネットで「瞑想」と調べて参加したということで、中には、瞑想行は朝早くから始まるのにもかかわらず、遠方から車で数時間かけて参加したという方もいて驚きました。
そういう方たちを見ていて私は、宗教は嫌われているというけれど、やはり若い方の中にも宗教を求める方がいるのだと嬉しくなり、みんなそれぞれ自分が納得できる宗教を見つけることができたらいいなと思いました。

またそのお寺では、瞑想行の他にも護摩行や写経など一般の方々が参加できるいろいろな行事が行われていました。
私が一番好きだったのは護摩行で、護摩行の太鼓の音に合わせて他の参加者の方々と一緒にお経をあげる時間はとても楽しかったです。
多分他の人から見たら私はとても熱心な信者に見えたと思うのですが、私はその延長上に何かわかることがあるかもしれないという思いがあって、その頃下の子が幼稚園に通うようになって時間の余裕ができたので一生懸命参加していたのでした。

そんなある時、私と同じ年代の女性の方がその僧侶の方を慕ってお寺に来るようになりました。
彼女はご主人のことで悩んでいるということでしたが、私にとっては話し相手もできて、それからは時々ですが一緒にお寺に行くようになって、お寺の大きな行事がある時にお手伝いをする奉仕行にも参加するようになりました。
奉仕行は主に行事の前に行なう準備や清掃でしたが、行事の裏方の仕事もできるようになって嬉しかったです。

そして、お寺に通うようになってちょうど一年が経った時の大きな行事の護摩行では、その行事の裏方のスタッフとして参加しました。
前日の準備のお手伝いから当日の諸々のお手伝いまで張り切って行ない、行事が終わった後の反省会にも参加させていただき、そこまで深くお寺の行事に関われたことをとても嬉しく思いました。
でも反省会が終わって帰宅しようとお寺の境内を歩いていた時に、自分でもよくわからなかったのですが、何となくふと自分の中でやり切ったような、仏教はもういいのではないかという気持ちになっていました。
そして、それを最後にお寺に足が向かなくなってしまったのでした。

それからしばらくして、お寺で親しくなった方から電話がありました。
「どうしたの?急にばったり来なくなったから、みんな心配しているわよ。」
と言われて、私は返答に困って、「またそのうち行くわね。」とだけ答えました。
その後、修験道の先生のところに通っていた昔の職場の友人からも電話がありました。
「どうして先生のところに来なくなってしまったの?」と聞かれて、
「先生のところだけではなくて、お寺に行くこともやめたわ。何か仏教っていろいろ難しい教義があってとても深い教えのように感じるけれど、結局最後は先生もお寺さんも愛や感謝の心を持ちなさいとお説教をするだけで、もしかしたら得るものが何もないんじゃないかと疑問に思ってしまって…。」と答えました。
「ふーん、何だか厳しいことを言うのね。よくわからないけど仕方がないわね。でも、私は仏教をやめる気はないかな…。」
という会話をしたのでした。

お寺から離れた理由はいろいろありましたが、大きな理由としては昔の職場の友人に話したことの他に、信仰や修行のことを深く学びたいと思って行事に参加しても、行事の目的が先祖供養で毎年同じことを繰り返すだけのように思ったことや、修行といっても僧侶の方が行なうことを見ているだけで神仏の存在を感じることができないように思ったことなどでした。


9.スピリチュアルが好きな方に見てもらって

とうとう仏教の世界から離れてしまってこれからどうしようかと思ったのですが、何だか自由になったような気もして、とにかく自分なりに納得できるものを探したいと、少し信仰や修行などの宗教的なことから離れたくなってスピリチュアル関係の本を読むようになりました。

仏教に比べて明るくて軽いという印象があって、どれを読んでも新鮮でした。
少しの間ですが、“ありがとうが大切”と書かれた本にはまってしまって、ありがとうという文字が入ったグッズも買って、家族から呆れられたことがありました。

そんなある時、息子の幼稚園で知り合った保護者の方と公園で子供を遊ばせながら話していた時に、突然彼女が自分は霊能力を持っていると話し出しました。
話している途中に彼女が、「ちょっと待って、聞いて見るから。」と斜め上を向いて誰かと話している様子になって、その話した内容を教えてくれたりして、誰と話してるんだろう、それは本当だろうかと少し疑問に思いました。
でも彼女から、幼い頃から霊感があって今は人にヒーリングをしていると聞いて、ヒーリングってどんなものだろうかと以前から興味があったので、彼女のヒーリングを受けてみることにしました。

彼女の家に行って、彼女や私の子供は彼女と同居している実のお母さんが見てくれるということで預けて、彼女の”仕事部屋”に案内されました。
彼女の右手の上に私の左手をのせて、
「さあ、どうぞ。何でも聞いて。」
と言われたので、やっぱり家族のことを聞くのがいいかなと思って、主人のことや3人の子供のこと、実家の母のことなどを次々聞いていきました。
普通の占い師さんのように生年月日を聞くわけではないのに、彼女は私の家の様子や家族に関することを次々と言い当てていき、こんなに霊能力っていろいろなことがわかるものなのか…と本当に驚きました。
時々彼女の側にいるという見えない存在に私の質問の答えを聞いていて、私は相変わらず彼女は誰と話しているのだろうかと思いながら、彼女の様子を見ていました。


でも、私が10代の頃心がとても苦しかったのはどうしてかという一番知りたいことを聞いた時、しばらく考えた様子をした後、
「先祖の浄霊をする必要があるように感じるのでやってみるわね。」
と、数分間目を瞑って何か祈っている様子になりました。
「はい、終わったわ。もういいわよ。」
と言われたのですが、その時、そんなに浄霊って簡単にできるものなのだろうか、何だかおかしい…と、とても疑問に思いました。

実は修験道の先生から、修行をしていない霊能力者は偽物で、本当は霊的なものは見えてはいけないと何度も聞かされていました。
私もそれまで何人か霊能力があるという方に出会ったことがあるので、本当にその通りだと納得していたつもりでした。
でもその時は修験道の先生から離れていて、霊能力があるという方の霊能力が本当はどんなものなのか確かめてみたいという気持ちもあって、彼女に見てもらったのでした。

彼女は自分のことをスピリチュアルヒーラーと言っていて、私は彼女から、
「ご主人も子供さんもあなたの愛が少ないから寂しがっているわ。もっと愛情を持って接してあげて。」
というアドバイスをもらいました。
そしてヒーリングが終わってから、母親の愛情の大切さがわかるという本を勧められて、その本を買って帰宅したのでした。

彼女のヒーリングを受けて、やっぱり私は愛が少ないのね…と反省して、帰宅してからさっそくその本を読み始めました。
途中読んでいて、「おねしょは母親の愛情不足が原因で起こる。母親が子供を抱きしめてあげれば、おねしょはすぐに治る。」と書かれたところに違和感を持ちました。
ちょうどその頃私の仲の良いママ友から、小学生の子供さんがまだおねしょが治らなくて悩んでいると聞いたばかりで、私はそのママ友がとても愛情不足に思えなかったので、何でも母親の愛情不足のせいにしているこの本はおかしいと思って読むのをやめました。

それにその日のヒーリングの内容を振り返ってみると、確かにいろいろなことを言い当てる彼女の霊能力はすごいと思いましたが、家族がどうとか家の中の様子がどうとか参考にはなったものの、何だかどうでもいいことのように思いました。
そして、そんなことしか言い当てることができない霊能力者ではなく、もっと人生のことについて本当のことを教えてくれる大霊能力者のような方がどこかにいないだろうか、もしそんな大霊能力者のような方に出会えたら私はその方についていこう、と強く思ったのでした。

その後、彼女に会うことがあっても、何となく彼女のことを避けるようになりました。
結局は彼女のアドバイスが”愛”に偏っていてついていけない気がしたこと、何となく彼女に自分の弱みを握られてしまったように感じたこと、何よりも彼女と話しをすると心が重くなることに気付いたからでした。
後日幼稚園の保護者の方の中で、私と同じようにヒーリングしてもらった方から、
「身近なことを言い当てられて、ちょっと怖くなった。」
と聞いて共感したり、別の方から、
「彼女って何か霊能力があるんでしょう。その霊能力でいろいろ見てくれるって聞いたけど、私は自分の醜い心を見られるのがイヤだから彼女に見てもらうのは遠慮するわ。」
と明るく言われて、霊能力と聞いて飛び付いた私と比べてそんな風に言えるってすごいし、それが霊能力を持つという方に対する態度として正解なのかもしれないなと思ったりしたのでした。

この出来事の5ヶ月後に私は霊魂学に出会いました。
そしてその数カ月後に、自称ヒーラーの彼女と対立する出来事が起こりました。
その時のことは、次の「霊魂学に出会って」の中で書きたいと思います。


10.四柱推命の占い師さんに見てもらって

息子の幼稚園のママ友にヒーリングをしてもらったすぐ後に、今度は当時小学生だった娘の習い事で知り合ったママ友Aさんが自分の家で開いているという料理教室に誘われて行くようになりました。
それまでPTA活動にも熱心そうなAさんを見て、私はAさんとは合わないと思っていましたし、Aさんも私に話しかけてくることはありませんでした。
それがある時、突然Aさんがお化粧をしておしゃれになっていたのに驚いて、
「どうしたの、今までと全然雰囲気が違うけど何かあったの?」
と私が聞いたことから、Aさんがそれまでと全然違って”フレンドリー“な感じで料理教室に誘ってきたのでした。

初めてAさんの料理教室に行った時、実はそれが一時ネズミ講で有名になった調理器具を販売する団体ということがすぐにわかりました。
「子供のためには安全で美味しい料理を作ってあげることは大切よ。それに母親がきれいであることも。だから私はきちんとお化粧もすることにしたの。」
とAさんは言っていましたが、それは全て勧誘活動で、だからAさんが急に私に対してフレンドリーになったのかと何だかすごく納得できました。
でも、高価な調理器具を買うつもりはなかったものの、子供の関係もあって断り切れないまま、何となくズルズルとAさんの家に通うようになってしまいました。
Aさんの家では料理教室だけでなく、その団体の仲間の方たちといろいろな活動をしていて、次から次へと誘われるのでもう断らなければと思っている時に、Aさんが、
「今度私の知り合いで占いをしてくれる方が来るからぜひ見てもらって。とにかくすごいから。」
と言われて、断るのはその方に会って占いをしてもらってからにしようと思いました。

Aさんの家で占いをしてくれるというSさんに初めてお会いした時、
「私は霊的なことに興味があるんです。どうやったら学べますか?」と聞くと、
「お見受けしたところ、あなたは霊能力の世界に関わる強さはないと思うわ。せいぜい育児を一生懸命することね。」
と言われて少しショックを受けたものの、確かに私には霊能力の世界は無理だろうなと思いました。
Sさんは50代後半ぐらいの女性の方で、自分にとっての神(日本の神々)を求めて生きていて、占いは人々のために少しでもお役に立ちたいから行っているということでした。

その次にSさんにお会いした時、四柱推命で占ってくれて、
「私は何を求めていけばいいのか迷っています。今は、霊的なことを知りたいのでスピリチュアルの方に行けばいいのか、それとも今までやってきた仏教にこだわって修験道の方に行けばいいのか迷っています。私はどちらを選べばいいですか?」
と聞いてみたところ、
「あなたは宗教を求めているわね。修験道の方に行きなさい。そうすれば恐らくしばらく経ってから、必ずあなたがやりたいと思っていたことが見つかります。あー私はこれがやりたかったんだと、心から思えるものに必ず出会えます。あなたに合うのはスピリチュアルではありません。」
と言われました。
その頃このまま何も見つからなければどうしようと不安になっていたので、私はそれを聞いてとても嬉しくなりました。
そして、「私は宗教のことを人に言えるようになりたいんです。宗教は人生で大切だから、宗教を学ばないといけないと人に言いたいんです。」と言うと、Sさんは、
「誰もあなたの学んできた宗教の小難しい詰まらない話なんて聞きたいと思っていないわ。人に言いたいというのはあなたのエゴよ。そうではなく、自分が宗教を学んでよかったと思ったことや、感動したことを人に伝えるようにしなさい。人と宗教をつなぐ橋渡しをすると思えばいいのよ。橋渡しならできるはずだし、勇気を持って思い切ってやっていけばどうかしら。」
とにこやかに答えて下さいました。


それからしばらくして、占いが好きだというママ友を誘ってSさんのご自宅に遊びに行きました。
私の家族やママ友の家族を四柱推命で見てもらった後、Sさんのこれまでの人生のお話などを聞きました。
Sさんは若い頃仕事で成功したことや、今は子供さんも成人しご主人とも離れて暮らしていることなど話してくれて、
「50才になるまでは世俗的なことを精一杯やって、50才になったらそういうものから自由になって、神を求めて生きようと決めていたのよ。」という言葉が心に残りました。
占いや信仰的なお話しもしてくれて、私はそんなSさんの元で信仰のことを学びたい気持ちになりましたが、Sさんはお弟子さんは取らないということでした。

そして、それからはAさんの家にはSさんが来る時だけ行くようにしました。
そんなある時、Aさんから電話がありました。
「最近あまり来なくなったわね。どうしたの?」と聞かれたので、
「ごめんね。私はあなたがやっているところに入る気はないの。でも、Sさんの来る日だけお話を聞きに行きたいと思ってるんだけど。」と返事をすると、
「あ、そうなの。なら来ないで。入る気がないんだったら、もううちには来なくていいわ!」
と強い口調で言われて、私は内心ホッとしながら、「わかりました。」とだけ答えたのでした。

それからしばらくして今度はSさんからメールがありました。
「最近お見かけしないけどどうしたの?体調でも悪いの?」
と心配してくれていたので、Aさんとのやり取りを書いたメールを送ったところ、
「そうだったのね。何かあったらいつでも私の事務所に連絡してね。お元気でね。」
とSさんから返事がありました。
結局SさんはAさんの入っている団体のOGのような存在で、私もAさんのところに行かなくなるとSさんと関わることはできないことはわかっていたので、お世話になったことのお礼のメールを送って、Sさんとお別れしたのでした。


11.古神道を求めて

四柱推命の占い師のSさんのアドバイスを受けて、自分なりに修験道を学びたいと思いました。
それまで修験道の先生から信仰や修行の大切さを学んできていたので、やはり難しい教義とか教えだけを頭で理解する信仰ではなく、修行などの実践を通して生きた信仰を教えてくれるところを探したいと思いました。
そして、信仰を教えてくれて、修行も教えてくれて、霊的なことも教えてくれるところは、やはり修験道しかないように思い、祖父が信仰していた大峰山に行ったり、修験道のお寺や不動明王を本尊とするお寺に行ってみたりしました。

お寺の護摩焚きに行った時、他のお経の時はあまり声を出さない年配の方が、不動明王のご真言になると急に背筋を伸ばして声をはりあげて唱えている姿を何度も見て、私はなぜインドが起源とされている不動明王が日本人にとても人気があるのか、いつも不思議に思っていました。
だから、日本人にとって不動明王はインドの神さまではなく何か別の存在なのではないか、不動明王は人々にご利益を与えると言われているけれどその力の本当の意味は何か、不動明王の信仰の先に本当のことがわかるのではないか、と思ったのでした。

その少し前、奈良の吉野山にある修験道のお寺に行って蔵王権現のお姿を見た時、その迫力のあるお姿にとても感動したことがありました。
それを思い出して、蔵王権現とは何だろう、不動明王とどう関わりがあるのだろうかと思い、権現の意味を調べてみると日本の神さまのことであることがわかりました。
その時に修験道は仏教と神道が融合したもので、今まで仏教にこだわって勉強してきたのだから、これからは神道の世界を学んでみたいと思いました。
また、修験道の先生が古神道の世界が最もすばらしいと言っていたことを思い出し、先生が暴風神と言っていたスサノオの神さまを求めて探していけば何か見つかるかもしれないと思いました。

そして、まず神道の本を読むと、古事記がとても素晴らしいことや、神道の中に禊や鎮魂などの修行法があることがわかりました。
次に祝詞を読んでみると、多分スサノオの神さまのことが書かれているのではないかと思う祝詞に何か力強さを感じて、ますますスサノオの神さまのことを知りたいと思うようになりました。
でも、どうやって神道の修行法やスサノオの神さまのことを教えてくれるところを探したらいいのかわからなかったので、とりあえずスサノオの神さまをお祀りしている神社に行ってみることにしました。

最初奈良にある大きな神社に行ってみました。
神社に行ったところでどうしたらいいのかやっぱりよくわからなかったものの、お参りした時に、
「本当の信仰と本当の修行を教えてくれるところに出会えますように。」
と祈願しました。
その後すぐに、何となく以前から気になっていた近所のスサノオの神さまをお祀りしている神社に行きました。
その神社の行事案内を見た時、“節分祭で護摩焚きをします”と書かれていて、神社でも護摩焚きが行われることを初めて知って驚きました。
そして、護摩焚きが行われるのは、お寺では不動明王、神社ではスサノオの神さまをお祀りしているところであることに気付きました。
だからその時、もしかしたら仏教の不動明王は、日本人にとってインドの神さまではなく、日本のスサノオの神さまなのかもしれないと思いました。
そういえば海、水、風、龍など共通しているものが多く、どこかイメージが似ていることにも気付いて、私が求めている方向性は間違っていないような気がして嬉しくなりました。
そして、奈良の神社にお参りした時と同じように、
「どうぞ本当の信仰と本当の修行を教えてくれるところに出会わせて下さい。」
と祈願しました。
その後境内から空を見上げて、何とか出会えないものだろうか…出会えたらいいのだけど…と大きなため息を付いたことを今でもはっきり憶えています。

そして、それから数日後に、私は霊魂学のホームページに出会ったのでした。



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