信仰を求めて

水波霊魂学を学ぶ

Kさんとの思い出

大阪支部のブログにも投稿しています。
 http://blog.livedoor.jp/osakakz/

目次
①Kさんとの出会い
②Kさんの病気
③Kさんの闘病
④Kさんとの別れ
⑤Kさんの死
⑥Kさんとの約束

私が霊魂学を紹介するホームページを書こうと思ったきっかけを与えてくれたのは、私のママ友Kさんでした。
ここではそんなKさんとの思い出を書いてみたいと思います。

①Kさんとの出会い

Kさんとは、今高2の次女が幼稚園に入園した時の年少のクラスが同じで、その時に出会いました。
私より2つ年上で、長女と次女の年齢と性別が同じで、何となくお互いに親近感を感じて話しをするようになりました。
3人目を妊娠し出産したのも同じ時期で、しかも性別が同じ男の子でますます仲良くなりました。

専業主婦の場合、子供が幼稚園に行くようになるまでは、公園に行って子供を遊ばせるのが日課です。いわゆる”公園デビュー”ですが、私は主人に、
「主婦は公園に子供と一緒に行って遊んでいるように見えるかもしれへんけど、あれは仕事なんやで。公園が職場で、他のママさんたちが同僚、自分と気が合う人がいたらラッキーなんやで。」
とよく言ったものでした。
それを言うと、

主人:「え~、遊んでいるようにしか見えへんけど。」

私:「違うねん、仲良くするのは子供のためなんや。実は難しいんやで。
ほら、お受験か何かでママ友の子供を殺してしまった事件があったやんか。
そこまで追い詰められてしまうってよっぽどやと思うけど、でもありうることかもしれへんと思うわ。」

主人:「それやったら公園に行かんでええやん。」

私:「そんなわけにはいかないんやって。子供のためには行かなあかんねんて。」

主人「?」


そんな感じだったので、3人目の長男については、最初からKさんというママ友がいたので、楽しく公園に遊びに?行っていました。
そこで、同じ年齢の男の子がいるAさんとFさんとも知り合いになり、子供を連れて4人で遊ぶようになりました。
長男が3才になった時、幼稚園に入る前の子供を対象にプレ幼稚園的なところにもみんなで一緒に入れました。
そこは、週に1回2時間子供を預かってくれるのですが、送り迎えは親がするので、場所が遠い時は送って行ってそのまま親同士が2時間おしゃべりして子供を連れて帰っていました。
気が合うママ友たちと、子供の話や幼稚園の情報などおしゃべりするのはとても楽しいことでした。
結局みんなそれぞれ別々の幼稚園を選びましたが、子供が幼稚園に行くようになってからも、4人で2・3ヶ月に一度ランチをしていました。


ある時のランチの日が、私がその頃通っていたお寺の行事と重なってしまいました。
月に1回の護摩行の日で、お昼前の1時間だけなのですがどうしても行きたくて、みんなに理由を言ってちょっとだけ抜けてお寺に行きました。
多分その時初めてそういう信仰の話しをしたので、みんな少し驚いた顔をしていましたが、
「行っといで~。」と快く送り出してくれました。
護摩行が終わって急いで戻ると、Kさんが、
「何か行く前と雰囲気が違うね~、すっきりした顔してるよ。」と言うので、
「そうでしょう。私好きなのよ、護摩焚きが。もしよければ今度一緒に行く?」と答えると、
KさんとFさんが口を揃えて、
「え~、いいわ~。私そこまで悩みないし~。」
悩みがあるから宗教をする、、そういうふうに思われるということに少し悲しくなりましたが、
「そうなんだ。じゃ悩みが出てきたらよろしくね~。」と答えました。

それから少し間をおいて、その次のランチは私とKさんと2人だけでした。
その頃、私は長い間お世話になった仏教を離れていて、下の子がカトリック系の幼稚園に通っていたので、そこでスピリチュアルが好きな人や霊感の強い人によく出会うようになっていました。
そういう人たちに出会うことで、私はやっぱりスピリチュアルや霊能力じゃなくて宗教を求めているんだと思いました。
だから、親しいKさんには、私の正直な気持ちを言いたくなりました。

私:「もし子供が大きくなって手が離れたら何がしたい?」

Kさん:「私は恵まれない子供たちのために何か活動したいと思う。いつかそういう活動がしたいと、ずっと思ってきたの。」

私:「何か意外かな。でも、Kさんなら何でもできるよ~。しっかりしてるし。」

Kさん:「こすずさんはどうなの?」

私:「私は宗教のことを言える人になりたいと思ってる。私は論理的にしゃべるの苦手だし、そこまでの広くて深い知識もないから宗教家の人のようになるのは絶対ムリとわかってるんだけど、でもせめて宗教が大切だって言える人になりたい、と思ってる。」

Kさん:「え~、宗教~?宗教って弱い人がするものだと思うけど。」

私:「私を見てるとそう思うかもしれないね~。まあ確かに私って何かあるとグチグチ言ってるし、いつもヘタヘタしてるし。でも、私は宗教は誰にでも必要で大切なものだと思うの。だから、それを言える人になりたい。そのために宗教の勉強をしたいと思ってる。」

Kさん:「え~、私は宗教はいらないわ~。」

とKさんは半ばあきれたような顔をして私に言いました。
その時私は、もうこれ以上Kさんに宗教のことを言ってはいけないんだと思いました。


②Kさんの病気

その頃、よくKさんは体調が悪いと言っていました。

Kさん:「最近よく体が重いというかしんどくなって、夕方でも寝転んで休むようになったの。そしたらね、M子(Kさんの次女、当時小4)やSちゃん(Kさんの長男、当時幼稚園年中)が、お母さん死なないでって抱きついてくるのよ。かわいいでしょ。」

私:「夕方って主婦が一番忙しい時間じゃない。大丈夫?」

Kさん:「どこが悪いとか痛いというわけでもないから。。」

その年の秋、ある占い師さんから、あるお寺のお薬師さんがとてもご利益があるというお話しを聞いて、一緒にお参りに行きました。
その頃私は仏教から離れたと言ってもやっぱり仏教が好きでしたし、Kさんは宗教には興味がないと言ってもパワースポットは好きだったのでした。
その小さなお寺をお参りした帰りに近くの喫茶店に行きました。

Kさん:「最近お腹の調子がおかしいのよ。朝トイレに行きたいと思って行くでしょ、でも出ないの。でもまた行きたくなって行ってやっぱり出ない。その繰り返しで、何かおかしいのよ。。」

私:「え~、朝って忙しい時間なのに、トイレにずっといてるって大変やん。お医者さんに行って診てもらった?」

Kさん:「うん。近所の町医者に行ったんだけど、特に悪いところはないって言われた。」

私:「なら大丈夫よ、きっと。更年期障害じゃない?今けっこう更年期で大変って話しをよく聞くよ。
それか、ストレスかも。だってKさん、幼稚園の役員してるから大変なのよ~。」

その翌月の10月に、私は霊魂学に出会いました。

そしてその翌年の3月、Aさんも入れて3人で会った時もKさんが、
「お腹の調子がおかしいの。」と前回と同じ話しを、今度は青白くてしんどそうな顔をしてAさんに話していました。

Aさん:「そんなんやったら絶対病院行かなあかん。今度は町医者じゃなくて大きい病院に行くんやで。」
Kさん:「う、うん、そうするわ~。」
Aさん:「絶対行くんやで!」

そして、5月の連休明けに、「そろそろお茶しない?」とKさんにメールしたところ、
「ごめん、今入院中なの。また退院したら連絡するね。」
という返事がきました。
私は、やっぱり何かの病気だったんだ、もしかしたら潰瘍性の大腸炎じゃないかな、これから大変だなと思ったのでした。

その後思いの外早くに、Kさんから「退院したよ~。」というメールがきて、7月のある日、2人で会いました。
久しぶりに会うKさんはとても痩せた印象がありました。
お互いの近況報告をしたあと、Kさんがおもむろに、

「私、悪性腫瘍だったの…。」

私:「えっ!?」






Kさん:「4月に家で出血して、慌てて主人と病院に行ったら即入院て言われて手術を受けたの。
肝臓にも転移していて、肝臓の手術も受けた。肺にも転移してるって。医師からは、もういつから腫瘍ができていたのかわからないぐらいだって言われたわ。腫瘍を見せてくれたんだけど、ホントに焼き肉のようだった。それで、秋から抗がん剤治療をすることになってる。」

私:「抗がん剤はきついって聞くけど大丈夫なの?」

Kさん:「今は抗がん剤も進んでいて、副作用も軽くできるらしいよ。医師は悲観的なことを言うけれど、私がんばるわ。」

そして、夏休みが終わって9月、抗がん剤治療が始まる前に2人で会いました。
Kさんは、ここしばらく起こっている自分の近況について、いろいろと話してくれました。

「病気がわかった時、どうして私が…と思って、ずっと泣いたわ。病院のベッドの上でただ泣き続けた。2日間泣いて、もう泣くのはやめようと思ったの。泣いてもどうなるものでもないし、なら私は前を向いて生きようと思ったの。」

「なのにね、姉がね、私のところにお見舞いに来てくれたんだけど、私を見て泣いているの。
ねえ、おかしいでしょ、私は病気を受け入れて笑っているのに、周りの人は泣いているのよ。」

「それに、主人も、会社の人みんなに言ってるのよ、妻がもう進行してしまったガンだって。それで、お見舞いの品が届いたりするんだけど、困るよね。どうして言っちゃうんだろう、みんなに同情してほしいんだろうか?」

「Sちゃん(Kさんの長男、当時幼稚園の年長)の参観日に行った時だって、幼稚園に病気の診断書を出さないといけなかったから出したんだけど、園長先生がね、わざわざ私のところに来て、椅子を持ってきてくれたのよ。
他のママさんたちはみんな立ってるのに、私だけ椅子に座るって、それこそ他の人に私が重い病気なんだろうかって怪しまれるよね。困るよね、普通にしてくれたらいいのに。」

「だから、人に病気のことを言うとすごく同情されてかえって困るから、もう言わないことにした。
だから、AさんやFさんにも私の病気のこと、言わないでね。」

私が、「それでいいの?」と聞くと、

「いいの、もう同情されるのは嫌だから。今まで通り普通に付き合いたいから。」

「あと、10年生きたいな、10年がだめならせめて7年後の東京オリンピックまで。。
医師からは、ステージ4と言われてるんだけど。」

Kさんの話しを聞いていて、その前の年にKさんが話してくれた、恵まれない子供たちのために何か活動したいというKさんの夢はもう叶えられることはないのだろうな…と思いました。
その前月、私は神伝禊法初伝の合宿に行っていました。
「ねえ、Kさん、私は今仏教をやめて、他のところに行ってるの、霊魂学っていうんだけど。
霊魂学のこと、うまく説明できないんだけど、ちょっと一緒にやってみない?」
と言ったところ、
「え~、私は宗教はいいわ~。」
という返事でした。
Kさんは病気になっても心が強いなと思いながら、宗教をするほどの悩みがないと言っていた2年前の会話を思い出し、今の状況でも宗教を求めるほどではないのだろうか、と少し悲しく思ったのでした。


③Kさんの闘病

そして、Kさんの抗がん剤治療が始まりました。
その頃から、Kさんが体調のいい時だけメールをくれて、Fさんも交えて3人で会うようになりました。
2・3ヶ月に一度会うだけでしたが、会ったらいつも、「大丈夫?」と聞く私に、「大丈夫よ。」とKさんは答えてくれました。
でも、抗がん剤の副作用で、ある時は食べ物に味がないと言ったり、別の時は病気を忘れるぐらい食欲があると嬉しそうに言ったり、体調に波があるようでしたが、だんだん悪くなっていっているような印象がありました。

抗がん剤治療を始めて1年近く経ったある日、Kさんはこう言いました。

Kさん:「治療はね、どんなにつらくても我慢できるの。治療はいいのよ。
でもね、何よりつらいのは、治療しても数値が全然よくならなかった時。
そんな時は、あーもう死んでしまいたいと思うの。いっそのことこのまま死んでしまえたらいいのにと思うの。」
私:「…。」

Kさんは苦しいことがあっても自分の力で乗り越えていく強さを持っていて、いつも自分のことより家族のことが優先で、Kさんが自分自身のことで落ち込むということはそれまで一度もありませんでした。
私はKさんが置かれている現実の厳しさに返す言葉がありませんでした。

でも、Kさんが弱音を言ったのはその一度だけで、その後会った時は、民間療法の治療を始めたことや、食事は玄米菜食にしていることなどを話してくれました。

それから半年ほど経ったある日、
Kさん:「ねえ、わかる?私今日ウイッグなんだけど。」

私:「えっ?とうとうなの。。」

Kさん「うん。朝起きたら枕がすごいことになってて、もう面倒くさいから、自分で髪の毛を全部剃ってしまったの。カミソリでジョリジョリって。」

確かKさんはおしゃれな感じの美容院に行っていたことを思い出し、
「え~そんな、、つらいよね。。」と答えた私に、

Kさん:「そうしないと仕方がなかったの。本当に塊でバサッバサッと抜けて面倒くさいのよ。
それでね、もう黙っていることは無理だと思って、とうとう子供たちに病気のことを話したの。
Y子(Kさんの長女、当時中3)は、何となくわかってたと言って泣いていたわ。
M子(Kさんの次女、当時小6)は、わかっているのかわかっていないのか。
Sちゃん(Kさんの長男、当時小1)は、わからない様子だった。
長女がいつまでも泣いているから、もう泣かないで、お母さんは病気と言ってもすぐに死ぬわけではないわ。今はこうしてあなた達の側にいるじゃない、って言ったの。」

子供たちの気持ちを思うと私も泣きたくなりましたが、Kさんは笑顔でしゃべっているのに私も泣くわけにはいかない、それにここはファミレス、、と泣くのをこらえて聞いていました。
そして、Kさんは、
「今、小学校の委員をしてるんだけど、やっぱり”お付き合い”みたいなものがあるの。でも、もうそういううわべだけの付き合いは、時間がもったいないからやめようと思う。」
と話してくれたのでした。



その次は、AさんとFさんも交えて4人で会いました。
AさんとFさんはKさんの病気に気付いていない様子でしたが、Kさんの手のつめが紫色なのに驚いていました。
Kさんは、手が荒れてるとごまかしていましたが、私は心の中で、こんなにつめの色が紫色になるなんてやっぱり抗がん剤はきつい薬なんだなと驚いていました。


その後Kさんの体調の悪さが続いて、なかなか会えませんでした。
やっと連絡があって、次に2人で会った時、Kさんは少ししんどそうでした。
Kさん:「家族が民間療法の病院を見つけてきてくれたんだけど、そこの注射、一本30万円もするのよ。その注射をもう何本打ったかわからない…。でも全然効かなくて、私はもったいないからもういいって断ったの。家族は、命に変えられないからと言ってくれるんだけど、でも効かないから断った。今は玄米菜食の食事を頑張ってる。」

その後もなかなか会えず、久しぶりに会ったのはそれから半年後。
私:「少し前スーパーに行く途中の道でバッタリ会ったよね。どこに行ってたの?車で出かけられるってことは少し体調が良くなったの?」

Kさん:「病院に行くときはいつも一人で車で行くから、病院の帰りだったの。実は病院を変えたの。今までの病院はもう薬も効かないし、私が希望して。今の病院は予約を取る人数が少なくて、あの日も病院で診察が終わってカウンセリングの部屋でゆっくり過ごしてから帰るところだったの。今までの病院の感じとは全然違うのよ。」

と言って、病院の診察券を見せてくれました。
その日は、Kさんは、家族と行った旅行の話やスケートのアイスショーを見に行ったことなどを楽しそうに話してくれました。
帰宅して、Kさんが今まで行っていたのは市民病院だったはず、それを変わるということはもしかしたら…、と思ってその病院をネットで調べてみたら、やはりホスピスのある病院でした。
案内文には、「午前中予約は2人しか取らず、患者さまにゆったり過ごしていただきます。」というようなことが書かれてありました。
ホスピス、、私はKさんの病状がそこまで進んでいることにショックを受けたのでした。


④Kさんとの別れ

その後は、またAさんやFさんも一緒に何回か会いましたが、いつもと変わらない様子に見えるKさんでした。
ただ、Kさんが子供たちのことを話してくれるのを聞いていると、何か自分がいなくなった時のことを考えて、子供たちそれぞれの将来の道筋を付けてあげようとしている、そんな印象がありました。
だから、よけい私の心の中に葛藤がありました。
Kさんは多分宗教を求めていない、せめて死後の世界のことを話したいけど、もしそんなことを言ったらKさんが気を悪くしないだろうか、もう会ってくれなくなるかもしれない、それにKさんが死についてどう思っているかわからないのに、死という言葉は言えない、でも、何かこのまま時間が過ぎていくのはもったいないような気がする、何かやるべきことをやっていないような。。

それから半年後、その年の終わりにKさんとFさんと3人で会いました。
Kさんは顔色も悪くて、咳も多くしていました。
その何か変に乾いたような低い音のする咳を聞きながら私は、肺のガンからくる咳の音って普通の咳と全然違うんだ、、と思ったのでした。

年が明けて春になって、Kさんから連絡がなかったので、私からKさんにメールしてみました。
私:「もうすぐ3学期も終わりだし、そろそろお茶しない?」
Kさん:「ごめんね。年が明けてから体調が悪くて外に出れないの。これから、新しい治療を試してみようと言われていて、また体調が良くなったら連絡するわね。
それより、何でもいいから日常の中であった、ホントに何てことのない出来事をメールしてきてほしいんだけど。」
もしかしたら、Kさんは大分悪いのかもしれないと思った私は思い切って、
「それなら、宗教のことを書いて送っていい?」
と返事をしたのでした。
そしたら、Kさんから、
「いいわよ。実は、こんな状況になってしまって、もう宗教のこと、何でもいいから聞いてみたいし読んでみたいと思ってたの。ぜひお願いするわ。」
私はこの返事を読んでとても驚きました。
Kさんが宗教の話を聞きたいと言ってる、、あの宗教はいらないと言ってたKさんが、、どうしよう。。
とりあえず、
「じゃあ、私が今勉強している霊魂学のことを少しコピーして持って行くわね。」と返事をしたのでした。

そして、Kさんに必要なのは死後の世界のことと思って、霊魂学のホームページの「死後の世界」や、『霊魂イエス上』の中で私が好きなところ、『幽体の悲劇』の「他界の章」などをコピーして、Kさんの家まで届けに行きました。

”ピンポーン”と呼び鈴を押して、
「は~い、今出ます~。」といういつものKさんの声。
でも、玄関から出てきたKさんを見て私はとても驚きました。
手足は枯れ草のようにやせ細り、白かった肌の色が土色になっていて、今までのKさんとはまるで別人のようになっていました。
絶え間なく咳が出て、立っているのもつらそうなKさんに、私は泣きたくなるのをこらえて、
「Kさん、これ読んでみて。決して押し付けないから。」
と言って、コピーの入った封筒を渡しました。
Kさんは、「ありがとう。」と言ってすぐ家の中に戻って行きました。

Kさんの家を離れて、自然に涙が溢れてきました。
もう遅かったのかもしれない、もしかしたら、Kさんは向こうの世界の人になろうとしているのかもしれない、霊魂学はまだ身体が元気なうちなら学んでみようと思ってもらえるかもしれないけれど、Kさんにはもうその力がないような気がする、Kさんには別の紹介の仕方があったのかもしれない、私は間違ったことをしたのかもしれない、と思ったのでした。

帰宅して、Kさんから、
「今日はありがとう。こすずさんに会えてよかったわ。では、今から読ませてもらうわね。」
とメールがありました。
「私もKさんに会えてよかったよ。ゆっくり読んでみてね、決して押し付けないから。早く体調がよくなったらいいね。」
と、また押し付けないことを念押しして返信しました。
そして、それっきりKさんから連絡がなくなったのでした。


⑤Kさんの死

Kさんからメールが来なくなったので、私はやっぱり霊魂学を受け入れてもらえなかったんだろうと思いました。もしかしたら、Kさんは、愛や感謝や何か宗教的な美しい文章を求めていたのかもしれないと思いました。
一方で、もしかしたら亡くなったのかもしれない、いやそんなことはない、Kさんはこれから新しい治療をするってメールに書いてあったから、ずっと病院に入院しているのかもしれない、でも。。
どちらにしても私の方からKさんにメールを送ることができませんでした。

そして、Kさんのことが気になりながら半年が過ぎた頃、一通の喪中ハガキが届きました。
それは、Kさんのご主人からでした。

やはりKさんは亡くなっていたのでした。
日付を見ると、Kさんが亡くなったのは、私がKさんに最後に会った日のちょうど一ヶ月後でした。
どうして、そんなに早く、、やっぱりあの時もうだめだったんだ、、Kさんは最後の姿を私に見せてくれたんだ。。

そして、最後に宗教を求めたのに、私は力になれなかった。。

次の日、Aさんから電話がありました。
Aさん:「ねえ、昨日Kさんのご主人から喪中ハガキ届いた?
私ビックリしてしまって。だってそうでしょ、親が亡くなったというならまだしも、本人だなんて。
全然わからなかった、だって元気そうだったじゃない。
あまりにもビックリして、私Kさんちに電話したの。そしたら、Mちゃん(Kさんの次女)が出て、病気がわかってからもずっと家で普通に生活できてたんだけど、今年に入ってから急に容態が悪くなって動けなくなってしまったって。3月になってもう起き上がることもできなくなって、病院に入院してそのまま亡くなったって。

お葬式は家族だけで済ませて、友人関係は全然わからないから連絡できなくて、今回Kさんのご主人が年賀状を見て喪中ハガキを出してくれたんだって。
それで、今食事はどうしているの?って聞いたら、お父さんがやってくれてるって返事だったわ。でもご自分もお仕事をしながら、3人の子供の世話をするって大変よね。
私、昨日はKさんがかわいそうでお気の毒で、Kさんのことを思うと涙が止まらなくて眠れなかった。。」

3月といえば、私がKさんに最後にあった月。あの日、Kさんは何とか起き上がって、玄関から出てきてくれたんだと思いながら、

私:「私はKさんの病気のこと知ってたんだけど、Kさんがみんなには言わないでと言うので、黙ってたんだけど、ごめんね。いきなりKさんのことを知ってつらかったね。。」

Aさん:「いいのよ、私もKさんと同じ立場だったら同じように言うと思う。だって、自分の病気のことなんて人に知られたくないものね。
でも、そういえば私とKさん、子供が年少の時だけ幼稚園が一緒だったでしょ。幼稚園に入った頃急にKさんが太ったことがあったのよ、それもお腹周りだけ。絶対おかしい、あれは何か大きな病気に違いないって他のママさんたちとうわさしてたことがあったわ。。」

その2、3日後、スーパーでたまたまFさんに会いました。
Fさんに、Kさんのことを知っているか聞いてみたところ、Kさんと年賀状のやり取りをしていないから知らないという返事だったので、Kさんのことを伝えました。

Fさん:「そんな、、亡くなったなんて。。Kさんが亡くなる少し前に私たち会ったよね。その時も何も変わりなく見えたけど。私はKさんの病気には気が付いていたの。ある時Kさんがかつらをしていることに気が付いて、体調が悪くてかつらって、もうそれしかないでしょ。でも、亡くなるほど悪いとは思わなかった。。」
私:「じゃあ、私にかつらのこと聞いてくれればよかったのに。」
Fさん:「ダメよ。それは聞けないよ。Kさんにもこすずさんにも、絶対に。」

その後、私とAさんとFさんと3人で、Kさんのご主人宛てにお供え物を送りましたが、何の返事もありませんでした。
Aさんはショックを受けているようでしたが、Fさんが、
「そういうものだって。しょせん、私たちはKさんのママ友というだけで、Kさんのご家族からしたら何の関係もない人たちなのよ。」
私も、「そうよね。妻を亡くした男の人は、そっとしておいてほしいと思うものらしいって聞いたことがある。確かに、私たちは残されたKさんの家族に何ができるわけではないし。もう何もしない方がいいと思う。。」


⑥Kさんとの約束

Kさんが、私が渡した霊魂学のホームページや本のコピーを読んでくれたのかどうか、読んだとしたらどう思ったのかはわかりません。もしかしたらKさんは、求めているものと違うと思ったかもしれません。

実は私は、その前にもKさんから「宗教」という言葉を聞いていました。
Kさんが亡くなる4ヶ月前に、Fさんと3人でランチをした時、もう会計も済ませて帰ろうとした時に、Kさんが突然私に、
「こすずさんって偉いよね、ずっと仏教の勉強をしてきて。」
私がびっくりして、
「えっ?今は仏教をやめて他のことをやってるの。霊魂学っていうんだけど。」と答えると、
「そうなんだ、でも偉いよね、ずっと宗教の勉強をしてきて。」

その時私は、以前宗教はいらないと言ってたKさんが突然どうしてそんなことを言うのだろうと思っただけでした。それよりも私は、今私の目の前で笑顔で話しているKさんが死を目前にしているということから目をそらしたいという気持ちの方が強かったのでした。
いつも、宗教は誰にとっても必要と言いながら、肝心なところでKさんの気持ちに気付くことができませんでした。

Kさんに結局最後まで霊魂学のことが言えなかったのも、Kさんの余命を知らなかったとか、あの時はまだ禊法の初伝しか習っていなくて人に言う自信がなかったとか、いろいろ言い訳はあるのですが、結局私がKさんに霊魂学を拒否されるのが怖かったからなのと、もしKさんが話しを聞いてくれたとしてもKさんの少し亭主関白そうなご主人から、「そんな宗教のことをいう奴なんかと付き合うな。」と反対されるのが怖かったからでした。
どちらにしても、宗教のことを言うことでKさんと会えなくなってしまうことが怖かったのでした。
今から思えば、Kさんは医師から余命宣告を受けていたはずで、Kさんはずっと死を見つめ続けていて、多分亡くなる半年ぐらい前から宗教のことを考えるようになったのではないかと思います。

Kさんは心が強い人で、何でも自分で考えて行動して生きていく人でした。
病気になってからも、それまでと変わらず前向きで、もし私がKさんの立場だったらそこまで強くやっていけるだろうかといつも思わされました。
そんなKさんが最後に宗教を求めたことは、やっぱり人には宗教が必要だし、人は人生のどこかで宗教を求めるものということを私に教えてくれました。
そして、霊魂学の本の『たましいの救い』を読んだ時、Kさんはあの時、たましいの救いを求めていたのかもしれない、なのに私はKさんの役に立てなかった…、と思ってまた涙が出たのでした。




Kさんとの最後のメールの中で、私はKさんに、
「私ね、霊魂学のことを紹介するブログを書きたいと思ってるの。」と送ったら、
「それなら、ぜひ読むよ。私、何でも読むよ。」
と返信してくれたKさん。
「じゃあ頑張って書くわね。」と言いながら、何もできなかった私。

「宗教の勉強をしてきて偉いね。」
今でも時々、Kさんが私に言ってくれたこの言葉を思い出します。




Kさん、ありがとう。
その言葉は私にとってとても嬉しい言葉です。
やっぱり宗教って、誰にとっても人生を生きるために必要よね。
いろんな宗教がある中で、私にとって本当に正しいと思えることを教えてくれる宗教は霊魂学でした。
だから私は、これからもずっと霊魂学の勉強をしていくね!



このホームページは、霊的修行者としてはまだまだ未熟なのですが、Kさんとの約束として私なりに霊魂学を紹介するために作ってみました。(ふーみんさんのホームページを参考にさせていただきました。)
大阪支部のブログに投稿した私の拙文をまとめています。 宗教遍歴や霊魂学に出会ってからのことは、これから少しずつ書いていく予定です。

また、私のブログ「こすずの修行日記」では、Kさんから、
「日常生活の何てことのない出来事を書いたメールを送ってほしい。」
と言われたことを思い出して、何てことのない日々の出来事を書いています。

最後に、しずくさん、ステキなイラストを書いてくれて本当にありがとうございました。
しずくさんのKさんのイラストを見る度に、Kさんのことを思い出しました。 一番最後のKさんの笑顔が本当にステキでした。

”どうかKさんが死後の世界で霊的な道を歩むことができますように…。”
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